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木登りできない自分を無能と信じる魚:アインシュタインは実際言ってないぽい

フレームワーク論#雑談

USHIO Mamoru · 2026-05-01 06:54 · 0 claps · 4.7 min read
#einstein #framework #peter-thiel #rené-girard
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木登りできない自分を無能と信じる魚:アインシュタインは実際言ってないぽい

フレームワーク論#雑談

「もし魚を木登りの能力で評価したら、魚は一生自分を無能だと信じて生きることになる」

“Everybody is a genius. But if you judge a fish by its ability to climb a tree, it will live its whole life believing that it is stupid.”

アインシュタインの名でよく引用される言葉ですが、現存する文書や信頼できる一次資料では確認されておらず、アインシュタインの真正の発言である証拠は存在しないそうです。

とはいえ、アインシュタインが言ったというのが嘘だったとしても、フレームワーク論的には良い言葉です。道端の無名の人がもし言った言葉だとしても、その人の名前を刻みたいくらいです。

私たちが普段どれほど無自覚に「特定のフレームワーク」を絶対視し、それに囚われて自分や他者を評価してしまっているかを、極めて平たい比喩で気づかせてくれる。これだけでフレームワーク論なんかは不要になるくらいです。私論テーマ「平たくいう」のお手本でもあります。

事業アドバイザーのお仕事としては、ここ数年はタイ人の中小企業オーナーをクライアントとするケースが多いです。王室プロジェクトに携わっていた頃は、軍から出向してきたエリートの将校さん、Establishedな階級のちょっと有閑気味な富豪や有力者といった方たちと話すことが多かったのですが、最近のクライアントである中小企業オーナーさん達となぜかなんとなく共通していることがあって、それは「タイという国の単位で国際的な競争力や地位を上げるには」みたいな少し主語の大きい話をしがちであることや、そのときのパターンです。

タイよりも経済・社会・文化が発展している国とのとても素朴な比較を持ち出してきて、タイもこうあらねば、これくらいまでキャッチアップしなければ、という感じの話が多い。言ってしまえば紋切り型のお話になりがち。そういえば、不思議と言うほどではないけれども、対照的にタイ人の企業勤めの人たちとあまりそういう話になったことがない。

最近、巷で話題のピーター・ティールのおかげで、改めて注目を集めているのが、その師匠の哲学者のルネ・ジラール(もともと割と有名な人)です。彼が論じた代表的な概念が「模倣的欲望」ですが平たく説明するとこんな感じ。

人間は、自分が「本当に欲しいもの」を自分で決めているようでいて、実はそうではない。誰か他の人がそれを欲しがっているのを見て、初めて自分もそれを欲しくなる。欲望の対象そのものに本質的な価値があるから欲しいのではなく、「あの人が欲しがっている」という事実が欲望を生む。

つまり、欲望には必ず「モデル」(お手本となる他者)がいて、人はそのモデルを模倣することで欲望を抱く。恋愛でも、地位でも、モノでも、「誰かが価値を置いている」ことが、自分にとっての価値の源泉になっている。

ジラールはこれをさらに展開して、模倣する者とモデルが同じものを欲しがるから必然的に競争・対立(ライバル関係)が生じ、それが暴力やスケープゴートの構造にまでつながる、という社会理論に発展させています。

さほどまわりの欲望を「模倣」しなくてもいい状態になっている人たち(身分の十分エライ人たちやそこそこ成功した中小企業のオーナー)は、個人単位ではなく、国単位で模倣的欲望を持つのでしょうか。

タイといえば中所得国の罠みたいな話の例に、状況・サイズ的に一番当てはまりそうな国の1つです。もっと小さな国なら、割り切って覚悟決めて独自の得意分野に集中・専念するしかない、と腹をくくりやすいのかもしれない。「発展のステージ」などという言い方自体が、すでに模倣的欲望のフレームワークの内側なのかもしれませんが、そのステージがタイと同じくらいの国々が自然と互いを比べ合うライバルとなります。

それにしても、「木登りの能力」のようなわかりやすい指標は、ごく単純な評価フレームワークが切り取った物事や主体(エージェント)の一面に過ぎません。サルの社会なら評価されるものを水中の魚に持ってくるのは、ただの適用エラーです。

歴史も文化も、偶然の状況や環境も違う国同士で、単純化した指標やイメージを模倣しようとしてもしょうがなさそうな気がします。トータルな視野で眺めた中の各論はあっていいと思いますが、細切れの話にはおそらくあまり意味がない。

一方で、素朴な模倣と模倣的欲望の間には大きな違いがあると思います。

模倣といえば、この10年ほどで日本を観光したタイ人が大幅に増えましたが、この期間、バンコクの公衆トイレが急激にきれいになりました。きれいなトイレっていいね、と本当に体験して感じたからこその模倣。社会にそれが当たり前のように実装されているという臨場感を、ただの観光だけれども多くの人が獲得した。模倣的欲望によって細切れの指標やイメージを追ったところで大したことはできないが、本当に心から「いいな」「それだな」と感じたことはおそらく自分でも気づかないうちに真似をし実現している。バンコクのトイレが急にきれいになったのは明らかに模倣的欲望のほうではないでしょう。

ジラールが語った模倣的欲望は人類単位で社会の本質ということらしいので、個々がどうこう言ってもしょうがないものかもしれません。しかし、魚は自分が木登りする必要がないことに気づけるし、他者の欲望を模倣しなくても、他者そのものを模倣することはいくらでもできる。

なりたいものになるための重要なヒントをくれたのはアインシュタインじゃなくて誰なんでしょう。気になって夜しか眠れません。


메타데이터
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