供犠を巡る物語~ヱヴァQ編~
※おことわり
供犠を巡る物語~ヱヴァQ編~
※おことわり
この文章は僕が
『月刊群雛 (GunSu) 2015年 04月号 ~ インディーズ作家を応援するマガジン ~』
に掲載した論評を再構成の上、掲載したものです。そしてこの論評には作品の冒頭から結末までの「ネタバレ」が含まれます。また、DVDから書き起こして引用した台詞はすべて「」でくくりました。
『供犠』(くぎsacrifice)
供物やいけにえを神霊に供えること。人身供犠の場合もある。一般には動物や人間の犠牲と供物とは区別されており,その歴史的な前後関係などの論議もなされてきたが,両者を一括した呼称として供犠という用語がある。 本文は出典元の記述の一部を掲載しています。
(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説より)
[embed]供犠(くぎ)とは - コトバンク ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 - 供犠の用語解説 …kotobank.jp
ストーリー編
実のところを言いますと、僕はこの文章を書くときに、この作品が興行収入52億円を叩き出したのを初めて知りました。
『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』4部作の3作目であります。
[embed]ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q 公式サイト 「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」西暦2012年11月17日公開evangelion.co.jp
本編が始まる前には精妙を極めた特撮技術を駆使して製作された、宮崎駿監督のアニメーション映画『風の谷のナウシカ』のオープニングにあたる「火の七日間」を描いた『巨神兵東京に現わる 劇場版』が終わり、本編が始まるわけですが、
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これを劇場で観終えたときには
「またやりやがったか……」
と言いたくなるほどのあまりに衝撃的な展開で、しばらくの間呆けて席を立てなかったことを覚えております。
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もしもこの映画について一言で説明してくれと言われたなら、
『崩壊寸前の世界を舞台に繰り広げられる壮大な内ゲバ闘争劇』
と答えることでありましょう。
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物語では主人公・碇シンジ君は前作の『破』でエヴァンゲリオン初号機を覚醒させ、その代償として14年間もの長きに亘って、初号機の中で眠り続けていた、という衝撃的な事実を告げられるのです。
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目覚めたのは、かつて所属していたネルフを脱退した基幹メンバーが「反ネルフ」を掲げる武装集団ヴィレ(ドイツ語の「意思」の意)の旗艦ヴンダー(ドイツ語で「希望」)。
以前は同居までした葛城ミサトたちクルーに恨みと敵意の目を向けられ、もう何もするなと忠告されるシンジ君は、首輪式爆弾DSSチョーカーを課せられる……。
そして、アヤナミレイ(仮称)の駆るエヴァMark.09がヴンダーを急襲、制止を振り切るシンジ君を連れ去ります。
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DSSチョーカーを作動できないミサト。毒づく式波(しきなみ)・アスカ・ラングレー。この一連の展開を見て、僕はドストエフスキーの小説『カラマーゾフの兄弟』の劇中劇である『大審問官伝説』を連想してしまいました。
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舞台は十六世紀初頭、黄金時代のスペインです。そこに復活したキリストがとつぜん姿を現す。で、反体制的な考えをもつ異教徒たちを次々と火刑にし、スペインの栄光を背後で支える大審問官が、キリストに向かってこういうわけです。人間なんて、自由の重荷に耐えられないか弱い存在である、と。
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言い換えると、人間とは、自由と引き換えにパンを授けてくれる相手に対してむしろひれ伏すことを求める哀れな生き物だと。民衆は、パンをくれる権力にひざまずいていれば、それで満足なんだ。だから、もはや、あなた、キリストの出番はない。歴史は完成した。だから、邪魔はしないでくれ、とね。ある意味でものすごい一種のペシミズムですが、逆にある意見では歴史の真実をついている。
(『ロシア 闇と魂の国家』80ページより)
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『カラマーゾフの兄弟』の劇中劇である『大審問官伝説』ではとらえられ、閉じ込められたイエス・キリストの生まれ変わりが一切沈黙し、そんな「彼」に対して大審問官が長い長い独白をするわけですが、その役目は『Q』においてはヴィレの副長となった赤木リツコが担っている、と僕は見ていて、
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『あぁ、ヴィレには大審問官の役割を担っている人間が二人いるわけだな』
と改めて思った次第でありました。
なぜ僕は『Q』における葛城ミサトの中に「大審問官」を見るのか? それは彼女が(旧世紀版も含めて)「ヒューマニスト」であるという認識を持っておりまして、『Q』になってからその傾向がますます強くなったな、と感じており、「大審問官」もまた、「ヒューマニスト(人間中心主義者と言う意味で)」であるという考えから、『ロシア 闇と魂の国家』に収録されている次の言葉が僕の心に響いてくるのでした。
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亀山 (中略)大審問官やスターリンの「ヒューマニズム」は、死の恐怖を克服したものが神になる、という「人神」の思想に通じていますよね。死の恐怖を克服した人間が神の代理人となって世界を動かしていく。そもそも、大審問官がそうでしょう。
佐藤その通りです。西欧のキリスト教、特にプロテスタンティズムは、神が人になるという「神人」というベクトルしか認めませんが、ロシア正教には、「神が人になったのは、人が神になるためだ」という「神人」から「人神」へと転換する回路があります。
(『ロシア 闇と魂の国家』87ページより)
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葛城ミサトの持っている「ヒューマニズム」と同じものが碇ゲンドウ及び「人類補完計画」の持つ「ヒューマニズム」と通底するものがあると僕は見ており、「人類補完計画」が
「かつて誰もが成し得なかった神への道。人類補完計画だよ」
という碇ゲンドウのセリフからも窺えるのです。
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今後我々に明かされることがあるかどうかは「神のみぞ知る」といったところですが、『破』から『Q』に至るまでの「失われた14年間」に何が起こったのか? それを知る手掛かりは予告編のわずかな映像と、以下の葛城ミサトのナレーションしかありません。
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レイとシンジを取り込んだまま凍結されるエヴァ初号機。廃棄される要塞都市。幽閉されるネルフ関係者。ドグマへと投下されるエヴァ6号機。胎動するエヴァ8号機とそのパイロット。ついに集う、運命を仕組まれた子供たち。果たして、生きることを望む人々の物語はどこへ続くのか? 次回、ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q! さぁ~て、この次もサービス、サービスゥ!
(『新劇場版:破』の予告編より)
それゆえ、自分なりに想像を膨らませていくと、そのヒントとなるものは2002年に発生した『鈴木宗男事件』を巡って外務省が上を下への大騒ぎとなり、共に元外交官で現在は作家として活躍されている佐藤優氏や、
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京都産業大学法学部で教鞭をとっている東郷和彦氏の存在であり、
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そのような運命をヴィレの艦長となった葛城ミサトや副長の赤木リツコは辿ったのではないのかなと……。
つまり、葛城ミサトは2年近くもの長期拘留を受け、裁判闘争に10年と5000万円以上を費やし、敗北して前科を背負い、ネルフを退職。
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一方の赤木リツコは自分の身に危険が迫ったと感じるや否や国外亡命を果たし、各国の大学で教鞭をとりながらヴィレを立ち上げるために支援者を集めていた……。
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そんなことを考えているのです。
そして物語はこう続きます。アヤナミレイとネルフ本部に戻ったシンジ君は渚カヲル君と出会います。そして碇ゲンドウからカヲル君とエヴァンゲリオン13号機に乗れと冷酷に命令されます。
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その後、カヲル君は崩壊寸前の状態になっている世界をシンジ君に見せるのでありました。僕はこの場面を見て、シンジ君の持つ「純粋さ」や「一途な思い」さらには「自己犠牲」といった気高い精神性が「失敗」という形で証明された、ということを突きつけられた気がして、深く深く傷ついたシンジ君に胸が潰れそうな思いがしたのでした。
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孤立無援のシンジ君。そんな彼とカヲル君同様に「一人の人間」として向き合ったのがネルフ副司令官でゲンドウの右腕として寄り添う冬月コウゾウでした。
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冬月は、母親の碇ユイと綾波レイ(通称ポカ波)がエヴァ初号機の制御システムとして取り込まれていること、綾波レイは碇ユイの遺伝子を基に作られたクローン人間「綾波シリーズ」だと告げるのです。
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「だから今、碇は自分の願いを叶えるためにあらゆる犠牲を払っている。自分の魂もだ。君には少し、真実を伝えておきたかった。父親のことも……」
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という言葉には、長年傍で碇ゲンドウのことを見つめ続けてきただけに、とても重みがあったことを覚えております。
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救ったと思っていたはずの綾波レイも救うことが出来ていなかった……。さらに絶望の淵へと追いやられたシンジ君。そんな彼に対してカヲル君は
「エヴァで変わったことはエヴァで再び変えてしまえばいい」
と言い、シンジ君の首につけてある「DSSチョーカー」を外して自分の首につけ、
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(ここで、「その辺に捨ててしまえばよかったじゃないか……」と突っ込みを入れたくなるのはお約束)二人はわずかな希望に望みを賭け、「ダブルエントリーシステム」であるエヴァ第13号機へと乗り込むのでした。
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エヴァ第13号機とエヴァMark.09はセントラルマグマを通過し、深部に到達。
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『リリスの骸』に突き刺さる同型の二本の槍を見て躊躇するカヲル君。
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そこにヴィレ組のアスカの改2号機と
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狙撃手マリの駆る8号機が襲来します。
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この辺の戦いは完全なる「内ゲバ」であり、
「毒蛇が毒蛇を喰いあう例え」
という言葉がぴったり来るようなエヴァンゲリオン同士の戦いが始まるわけです。
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双刃の薙刀を武器に猛然と第13号機に襲い掛かる改2号機と、エヴァMark.09を足止めする8号機。
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息の合ったヴィレ組のエヴァに対し、チームワークがなく、てんでばらばらに応戦するネルフ組のエヴァ同士の戦いは映像的に観ていて大変面白いものの、最終的に第13号機は改2号機を退け(この辺にも望む望まないに関わらずシンジ君の持つエヴァを動かす「才能」を感じずにはいられない)
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カヲル君やアスカの制止を振り切って、シンジ君は第13号機を一人で操縦し、視野狭窄の状態になりながら二本の槍を引き抜くも、
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それはカヲル君が危惧した通り、「ロンギヌスの槍」と「カシウスの槍」の「対の槍」ではなく、共に「ロンギヌスの槍」であり、こうなることを知りつつ「黙過」した碇ゲンドウの策略であり、彼の思惑通りに物事が進もうとするのでした。
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覚醒した第13号機によって「フォースインパクト」が起こるも、
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アスカの駆る改2号機と
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マリの8号機の見事な連係プレーによって
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「フォースインパクト」は発生初期の段階で食い止められたのでした。
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僕がこの場面を見て連想したのは新約聖書の中にある『ヨハネの黙示録』にある3章15節と16節です。
「わたしはあなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく熱くもない。むしろ、冷たいか熱いか、どちらかであってほしい。 熱くも冷たくもなく、なまぬるいので、わたしはあなたを口から吐き出そうとしている。
(『新共同訳 新約聖書』ヨハネの黙示録3章15節から16節 日本聖書協会)
ここでの場合、「冷たい」はネルフ。
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「熱い」というのはヴィレと解釈しており、
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心情的には「どっちつかず」の状態で第13号機に乗って戦い、「ロンギヌスの槍」を二本とも引き抜いて「フォースインパクト」を発生させ、こういう風にエントリープラグから射出されるというのは、シンジ君にとって実に「悲劇」だったことでありましょう。
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やることなすことがすべて裏目に出て、エントリープラグの中でうずくまっているシンジ君を、とても荒っぽいやり方ではありましたが救い出したのはアスカであり、先立って脱出したアヤナミレイと共に三人は紅に染まった大地をただひたすらに歩き続ける……というところでエンディングとなるわけです。
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ここまで救いのない展開の物語の中での唯一と言っていい『救い』であったことは誰もが認めることと思います。
感想・論考編
ここからは僕の感想になりますが、亀山郁夫教授風に言わせると、この物語には二人の「神」、もしくは神の地位をうかがうもの(難しい言葉で言うと『僭称者』)がいる、ということでした。
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使嗾(しそう)(あるいは「教唆」と置き換えてもよい)によってすべてを可能ならしめる「地上の神」、葛城ミサトと、
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黙過することによって一切を沈黙したまま見下ろす「天上の神」、碇ゲンドウ。
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「地上の神」は「現実の変革」を志向するのに対し、「天上の神」は「暗示」によってフィフティ・フィフティの可能性に賭ける。
ネルフ。
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ヴィレ。
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そしてゼーレ……。
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この天と地の権力の混在が『Q』の世界をいっそう複雑にしているということと、この黙過と使嗾というのは彼らの言うところの「神殺し」を目指す人間たちが内包する暴力的なまでの「力学」なんだろうな、ということでした。
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総監督をつとめる庵野秀明氏のかつての盟友で、現在は評論家として活躍されている岡田斗司夫氏( @ToshioOkada)は東浩紀氏(@hazuma)との対談で、『Q』を一刀両断にしていた以下のやりとりが印象的でした。
岡田 作劇で言うと、『キン肉マン』レベルですよね(笑)。絵を作るセンスが世界でいちばん優れた人間が、世界でいちばん頭の悪い脚本家の言う通りに作ったら、こうなりましたと言われた気分。それを評論してくれと言われても困りますよね。何か言おうとすると、結局、悪口になってしまう。
東 肯定的に捉えるのは難しい。
(『僕らの新しい道徳』241~242ページ)
僕もまた
「まぁ、そらそうだわな」
と言いつつ、延々とこんなことを書き続けてきたのです。
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結論編
再生しようとするものを自壊させる現場へと観客を立ち会わせ、希望の芽はことごとく潰されていく……。ここまで「地獄編」そのままの展開にしておいて、
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次作『シン・ヱヴァンゲリヲン劇場版Ⅱ』でこれが打っちゃられたままだと恐らく劇場で暴動が起こるのではあるまいかと思うのですが。
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物語展開はさておいて、現在絶望の狭間で打ちひしがれているであろう主人公の碇シンジ君に対して、僕がかけてあげられる言葉は、先に挙げた『カラマーゾフの兄弟』の主人公である三男のアリョーシャがゾシマ長老に言われた言葉をもじって、こういう風になるでしょう。
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「シンジ君へ、僕は君のことをこんな風に考えているんだ。例え、ネルフであっても、ヴィレであっても、もしくはそのほかの道を歩むにしても、エヴァに乗っても乗らなくても、君は君のままで生きていくのだろう。多くの敵を持つことになっても、その敵たちさえ、君のことを愛するようになる。人生は多くの不幸を君にもたらす、またはすでにもたらしてしまったのかもしれないけれど、それらの不幸によって君は幸せになり、人生を祝福し、ほかの人々にも人生を祝福させるようになる。これがなによりも大事だと思うんだ。君はそういう人間なのですよ。シンジ君」
と。
さらに彼に言葉をかけるならば、旧約聖書の『コレヘトの言葉』の中にある、以下の言葉です。
何事にも時があり 天の下の出来事にはすべて定められた時がある。
生まれる時、死ぬ時 植える時、植えたものを抜く時
殺す時、癒す時 破壊する時、建てる時
泣く時、笑う時 嘆く時、踊る時
石を放つ時、石を集める時 抱擁の時、抱擁を遠ざける時
求める時、失う時 保つ時、放つ時
裂く時、縫う時 黙する時、語る時
愛する時、憎む時 戦いの時、平和の時。
人が労苦してみたところで何になろう。
(『新共同訳 旧約聖書』コヘレトの言葉3章1説から9節 日本聖書協会)
で、時は少し流れて最近読んだ内田樹氏の著された次の文章を読んだときに、ハッとさせられたのです。
ある異常な個人や組織が「悪の張本人」であり、それを特定し、抉り取ってしまえば、集団は原初の清浄を回復するという物語は「供犠」と呼ばれ、人類と同じだけ起源が古い。長い歴史を持っているというのは、それだけ有効だったからである。
だが、供犠的手法は「悪」が集団深く内面化し、一定以上の層に蔓延してしまった場合には、もう使えない。
「集団が生き延びるためには、成員の大半を排除しなければならない」
という背理に至り着くからである。
(『内田樹の大市民講座』140ページ)
とのことで、『Q』もまた、ネルフ、ヴィレ、そしてゼーレ、共にまさしく「供犠」を巡る物語であり、そんな三者の「思惑」に巻き込まれてしまったのが主人公の碇シンジ君である、と言えるのではなかろうかと。
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さらに言うなれば『Q』におけるシンジ君に対する僕の眼差しはドストエフスキーの『悪霊』に大半が起因するものなのです。
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あの話は大まかにいうと登場人物の一人であり、主人公のニコライ・スタヴローギンから「ロシア・メシアニズム」の思想を受け継ぎ、殺されてしまうイワン・シャートフが持っている『印刷機』を巡る綱引きであり、『Q』もまた、(本人の意思とは関係なく)ネルフとヴィレの双方が自分たちの目的を達成させる「キーパーソン」としてのシンジ君を巡って綱引きを行っている。そういう部分が強いからです。
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恐らく、完結編である『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』でシンジ君が行く道は茨。その根拠として示すのは、佐藤優氏がおっしゃっている次の言葉。
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(中略)近いところにある小さな差異が激しい憎しみを生みだすのだ。 日本でも、右翼と左翼の間で、暴力的衝突はほとんど起きない。
これに対して、左翼陣営内部での関係、例えば、日本共産党と新左翼諸党派との関係はきわめて悪い。新左翼内部、例えば、革マル派と中核派は一時期、血で血を洗う内ゲバを展開した。
死亡したり、再起不能の重傷を負った人々も多い。この二つの党派はもともと革命的共産主義者同盟(革共同)という同一の組織だったのである。
近いが故に、憎しみも倍増するのだ。
(『宗教改革の物語 近代、民族、国家の起源』31ページ)
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この言葉を応用すると、ネルフとヴィレ双方の登場人物たちが宗教戦争の論理でお互いのことを見ているので、仮にネルフ側についてヴィレと戦うと今度はどちらか一方が相手を徹底的に殺戮し尽すまで行かないと終結しないため、かつての同志であったミサトやアスカたちとそういう展開になることは必至であり、だからと言ってヴィレにつくと再度、『サードインパクトの引き金を引いた大罪人』扱いされるうえに、直接手を下すのか、あるいは間接的にせよ、シンジ君は『父親殺し』という重い十字架を背負うことになるでしょう。
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それは碇ゲンドウが「死」によってしか「解放」されない人間であり、「人類補完計画」もそういう性質がある以上、どちらかしかならないと見ているわけで、あるいはもし彼が「希望」をもった「選択」をするのなら『第三の道』を歩んでほしい。
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などと僕はそう願っているわけですが、仮に彼がどのような選択をしたとしても、物語全体がどのような結末を迎えたとしても、彼のことを受け止めてあげたい。心からそう祈っております。
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最後に、この文章を書いて改めて思ったのは、「山一抗争」のようなヤクザ組織の分裂、抗争劇と
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『宗教改革の物語 近代、民族、国家の起源』のような新左翼組織の内ゲバと、
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キリスト教で言えばカトリックとプロテスタントでの宗教的な分裂劇はどこが共通していて何が違うのか、ということ。
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これが僕の人生における重要なテーマになるのかもしれない……それがどこへ行き着くのかは僕自身も分かっておりませんが……。
〈了〉
【参考文献】
・『カラマーゾフの兄弟』1~5巻(2006)ドストエフスキー 亀山郁夫訳 光文社
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・『国家論―日本社会をどう強化するか』(2007)佐藤優 日本放送出版協会
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・『ロシア 闇と魂の国家』(2008)亀山郁夫 佐藤優 文藝春秋
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・『悪霊』1~3巻・別巻(2010)ドストエフスキー 亀山郁夫訳 光文社
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・『内田樹の大市民講座』(2014)内田樹 朝日新聞出版
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・『宗教改革の物語 近代、民族、国家の起源』(2014)佐藤優 KADOKAWA/角川書店
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・『ドスエフスキー 父殺しの文学』上下巻(2004)亀山郁夫 日本放送出版協会
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・『新共同訳 新約聖書』ヨハネの黙示録3章15節から16節 日本聖書協会
・『新共同訳 旧約聖書』コヘレトの言葉3章1節から9節 日本聖書協会
・『僕らの新しい道徳』(2013)岡田斗司夫 FREEex 朝日新聞出版
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【映像資料】
・『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q EVANGELION:3.33 YOU CAN (NOT) REDO.(初回限定版)(オリジナル・サウンドトラック付き) [Blu-ray]』 緒方恵美 (出演), 優希比呂 (出演), 庵野秀明 (監督)
![『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q EVANGELION:3.33 YOU CAN (NOT) REDO.(初回限定版)(オリジナル・サウンドトラック付き) [Blu-ray]』(Amazonより)](https://miro.medium.com/v2/resize:fit:1200/1*BunAJiSSpOiZ35n5hFgxkw.jpeg)
『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q EVANGELION:3.33 YOU CAN (NOT) REDO.(初回限定版)(オリジナル・サウンドトラック付き) [Blu-ray]』(Amazonより)
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