想像力がインフラになるとき── Liam Young「In Other Worlds」展評(バービカン・センター)
Liam Young: In Other Worlds — Imagining our future バービカン・センター(ロンドン)、2026年5月21日–9月6日 The Curve、Silk Street Entrance、Car Park 5
想像力がインフラになるとき── Liam Young「In Other Worlds」展評(バービカン・センター)
Liam Young: In Other Worlds — Imagining our future バービカン・センター(ロンドン)、2026年5月21日–9月6日 The Curve、Silk Street Entrance、Car Park 5

化石燃料時代の典型的インフラである立体駐車場で、人類最後の人工物についての思索が宙吊りになっている。
立体駐車場に吊るされた、最後の人工物
展覧会の終わり、観客はバービカン・センターの立体駐車場「Car Park 5」へと誘われる。コンクリートの柱に黄色く「5」と記された、まぎれもなく現役の駐車場である。その薄暗い空間に、ワイヤーで一枚のパネルが吊るされている。《Emissary》──人類の文明が沈黙した後も航行し続けるよう設計された、「最後の人工物」としての宇宙船。NASAジェット推進研究所のエンジニアとの協働で構想されたこの架空の探査機は、征服のためではなく、記録のための船であり、「傷ついた惑星から逃げるためのロケットではなく、それと向き合うための船」だとパネルは語る。
「In Other Worlds」は、オーストラリア出身の映像作家・スペキュラティヴアーキテクトLiam Youngの英国初の大規模個展である。BAFTAノミネート歴を持つYoungは、SCI-Arc(南カリフォルニア建築大学)で「Fiction and Entertainment」プログラムを率い、映画産業のワールドビルディングの手法を建築・都市の思索に持ち込んできた人物だ。本展は《World Machine》(2026年新作)、《After the End》(2024)、《Planet City》(2021)、《The Great Endeavour》(2023)、《Future Present》、《Emissary》(2024)の6つの「世界」で構成され、映像、精緻な都市模型、Ane Crabtree(『ハンドメイズ・テイル』)による衣装、グラフィックノベル、そしてForest SwordsやSpace Afrikaらによるサウンドスケープが、The Curveギャラリーから駐車場までを貫く一つの動線に配置されている。Kim Stanley Robinson、Kate Crawford、Holly Jean Buckといった書き手が各「世界」のナラティブに参加していることも記しておきたい。この人選自体が、後述する本展の立ち位置を雄弁に物語っているからだ。
筆者はアルゴリズミックデザインをファッションデザインの領域で実践し、同時にそれを事業として経営する立場からこの展覧会を観た。スペキュラティヴデザインの語彙で教育を受け、しかしその批評性を「実装」と「市場」の中で運用せざるを得ない当事者として。本稿はその視座からの展評である。結論を先に述べれば、本展は2010年代に体系化されたスペキュラティヴデザインの臨界点を示すと同時に、想像力が産業と癒着することの危うさを ──おそらくは意図的に──抱え込んだ、両義的な展覧会だった。
スペキュラティヴデザインの二つの系譜
本展を評価するには、まず「スペキュラティヴデザイン」という言葉が背負ってきた歴史を整理する必要がある。
通説的な系譜は、ロイヤル・カレッジ・オブ・アートのAnthony DunneとFiona Rabyに始まる。その前段にあるのが「クリティカルデザイン」の歴史だ。Dunneは『Hertzian Tales』(1999)で、電磁波やネットワークのように目に見えないまま日常に浸透するテクノロジーの空間を、市場的な楽観とも技術決定論とも異なる仕方で扱うために、デザインを問題解決(problem solving)の道具ではなく問題提起(problem finding)の媒体として再定義し、この態度を「クリティカルデザイン」と名付けた。1960–70年代イタリアのラディカルデザイン(Archizoom、Superstudio)が持っていた消費社会批判を、情報技術の時代に翻訳し直す試みだったと言ってよい。Rabyとの共著『Design Noir』(2001)を経て、二人が率いたRCAのDesign Interactions学科(2005年開設)がこの実践を教育として体系化し、その集大成が『Speculative Everything』(MIT Press, 2013)である。(同時期のRCAでDunneらと協働したWilliam Gaverが、この態度をカルチュラル・プローブやルーディックデザインとしてHCI研究の側へ接続していったが、その学術的展開は本稿の射程外とする。)
「こうなるだろう未来(probable)」ではなく「こうありうる未来(possible/plausible/preferable)」を扱うデザインとして、スペキュラティヴデザインは2010年代前半に一挙に制度化される。MoMAのキュレーターPaola Antonelliによる「Design and the Elastic Mind」展(2008)がその美術館的受容を準備し、以後、世界中のデザインスクールがこの語彙を採用した。日本においても2010年代後半にかけて慶應義塾大学、東京大学、多摩美術大学等の教育機関において、スペキュラティヴデザインは半ば輸入学問的に受容された。
しかしこの系譜は、2010年代半ばには早くも内側から批判に晒される。Luiza Prado de O. MartinsとPedro J.S. Vieira de Oliveiraによる「Questioning the ‘critical’ in Speculative & Critical Design」(2014)は、SCDが想定する「未来に不安を覚える主体」が欧州の白人中産階級に偏っており、その「ディストピア」の多くが地球の南側ではすでに現実であることを突いた。ギャラリーの白壁に置かれた思索的プロトタイプは、誰に向けて、何を変えるために問いを発しているのか。批評性そのものの階級性・地政学性が問われ、2015年にはDunne & Raby自身がRCAを去り、Design Interactions学科もほどなく幕を閉じる。二人はニューヨークのThe New School(Parsons)に移ってDesigned Realities Studioを立ち上げ、プロダクトの形を借りた問題提起から、社会的想像力(social imaginaries)そのものの設計へと軸足を移していった。近著『Not Here, Not Now』(MIT Press, 2025)では、実現可能性から切断された「不可能なもの」を思考の資源として擁護するところまで進んでいる。つまり創始者たち自身が、ギャラリーのプロトタイプという形式を手放し、より大きな「世界」の単位へとスケールを引き上げたのである。いずれにせよ、スペキュラティヴデザインの「最初の波」は、批評のための批評という袋小路と、美術館制度への快適な収容という二重の限界を露呈して一段落した、というのが私の理解である。
一方で、もう一つの系譜がある。建築的ワールドビルディングの系譜だ。ArchigramのWalking CityやSuperstudioのContinuous Monumentが1960–70年代にやったことは、単体のプロダクトに問いを込めることではなく、都市と惑星のスケールで「別の世界の全体像」を描くことだった。Liam Youngはこちらの系譜に属する。2008年にロンドンで共同設立したシンクタンクTomorrow’s Thoughts Todayでも、Kate Daviesと共同で率いる、世界各地の産業現場への遠征そのものを方法とするリサーチスタジオUnknown Fieldsでも、Youngが一貫して扱ってきたのは「世界」の単位である。Unknown Fieldsはリチウム鉱山、コバルト採掘地、コンテナ船、ボリビアの塩湖といった、私たちのテクノロジーを支える「見えない風景」への遠征を重ね、サプライチェーンの果てにある景観をフィルムに収めてきた。ギャラリーのガラスケースではなく、地球そのものをフィールドとするこの実践は、SCDの「思索的プロトタイプ」とは根本的に異なる身体性を持っている。
この系譜が2010年代後半に合流した結節点として、モスクワのStrelka InstituteでBenjamin Brattonが率いた教育プログラム「The New Normal」(2017–2019)にも触れておきたい。Youngはそのコア・ファカルティとして「Speculative Megastructures」モジュールを担当しており、惑星規模の計算(planetary-scale computation)をめぐるBrattonの理論と、Youngの映像的ワールドビルディングは、ここで正面から接続された。都市を製品ではなく計算のスタックとして捉え、そのスケールで思索する言語──本展の《World Machine》に流れ込む語彙──は、この時期に発展したものだ。
本展の入口に掲げられたYoungの言葉──「未来は水のように私たちに押し寄せてくるものではない。それは創造の行為であり、私たちが一瞬一瞬、共につくるものだ」──は、一見するとDunne & Rabyの「preferable futures」の語彙と地続きに見える。だがここで実践されているのは、問いを発するデザインではなく、世界を建設するデザインだ。そしてこの差異こそが、2026年という時点において決定的な意味を持つ。
見えないほど「大きな」技術への畏怖
スペキュラティヴデザインが生まれた2010年代初頭と現在とでは、思索の前提条件が根本的に異なっている。本展が優れているのは、この条件の変化に自覚的であることだ。
第一に、生成AIの登場である。2013年の時点で「ありうる未来」を可視化するには、デザイナーの手仕事による精緻なプロップやCGが必要だった。いまや、もっともらしい未来のイメージは無限に安く生成され、低品質な生成物が「AIスロップ(AI slop)」と呼ばれて情報環境に堆積している。スペキュラティヴなイメージの希少価値は暴落した。実際、《After the End》のヴィジュアルには生成AIを思わせる質感が横溢しており、Youngもそれを隠そうとはしていない。思索的イメージの生産手段が民主化(あるいは陳腐化)した後で、なおワールドビルディングに固有の価値があるとすれば、それはイメージの表面ではなく、世界の設定──エネルギー収支、物質循環、統治形態、儀礼──の一貫性と厚みにしかない。スロップと思索を分かつのは画質ではなく世界設定の整合性である。本展の6つの世界が、映像だけでなく模型・衣装・グラフィックノベル・音楽という複数のメディアで同一の世界設定を多角的に「実装」していたのは、その価値の所在の移動に対する応答だと読める。
第二に、巨大インフラ企業の台頭である。2010年代のSCDが問うたのは、バイオテクノロジーやユビキタスコンピューティングといった、「目に見えないまま個人の生に浸透していく技術への漠然とした恐怖」であり、いわば製品スケールの未来だった。しかし現在、未来を最も大規模に「建設」しているのはハイパースケーラーである。恐怖の対象は、見えないほど小さな技術ではなく、「見えないほど大きな技術」だ。データセンターの電力需要は原子炉の再稼働を駆動し、AI企業の設備投資は国家予算に匹敵する。新作《World Machine》が描くのは、まさにこの現実の延長にある世界だ。渓谷が回路になり、塩湖がプロセッサになり、河川が電力と計算の流れになる。「惑星規模のAIを夢見ることは、地球そのものが機械になることを再想像することだ」。データセンターは人工湖から水を飲み、サーバーは岩盤に沈み、アルゴリズムは石に刻まれる。そしてFirst Nationsのコミュニティが、化石時代の金属を溶かして大地に還す「更新の儀式」を執り行う。
ここで重要なのは、《World Machine》がAIインフラを告発する作品ではないことだ。むしろそれは、すでに建設されつつある機械惑星を、別の所有・別の儀礼・別の物質循環のもとで建設し直せないかという思考実験である。2010年代のSCDが「問いを投げかけて立ち止まる」場所で、Youngは「では、どう建て直すか」まで踏み込む。展覧会の掉尾に置かれたステートメントの一節がこの転回を要約する──「この規模において、想像力は装飾ではない。インフラである(At this scale, imagination is not decoration. It is infrastructure.)」。
この一文は本展のマニフェストであると同時に、スペキュラティヴデザイン史の画期を宣言するものである。想像力がギャラリーの批評的オブジェクトであることをやめ、社会が未来を建設するための共有基盤であると主張すること。それは、デザインの思索が美術館制度から出て、政策・資本・技術開発の現場と直接に接続されるべきだという主張に他ならない。

Climeworksとフィクションの往復
その主張が最も鮮烈に、そして最も危うく現れていたのが、駐車場のセクション《Future Present》である。私が本展で最も長く足を止めたのはここだった。
Car Park 5に並ぶ7面のLEDスクリーンには、フィクションではなく、実在する再生可能エネルギーと農業テクノロジーのサイトを取材したドキュメンタリー映像が流れる。Unknown Fieldsの遠征で培われた取材網の延長にあるこのシリーズの中に、直接空気回収(DAC: Direct Air Capture──大気中のCO2を化学的に直接捕集する技術)のスイス企業Climeworksへのインタビューが含まれていた。
印象的だったのは、インタビューの内容そのものではなく、その編集である。Climeworksのエンジニアが自社のCO2捕集モジュールを語る映像は、Youngの構成の中で、直前のセクションで観たばかりの《The Great Endeavour》──大気を石に還す惑星規模の炭素除去インフラ、「私たちの世代の月面着陸」としてのジオエンジニアリング──のフィクション映像と地続きに接続されるよう配置される。観客は、洋上に屹立する架空のメガ炭素除去プラットフォームの崇高な映像を網膜に残したまま、現実のスタートアップの、はるかにささやかな装置と対面する。現実の装置がフィクションの側から遡行的に『あの巨大な未来の萌芽』として見えるように編集され、Climeworksが惑星修復という物語の第一章に書き換えられる。
ギャラリーの問いかけは現実を変えない、というスペキュラティヴデザインのアポリアに対して、Youngは現実の技術開発の現場を物語の中に組み込み、彼らの仕事に「より大きな未来の一部」という意味を遡及的に付与してみせる。フィクションが現実の萌芽を発見し、現実がフィクションに接地を与える。この往復運動は、Kim Stanley Robinsonが『The Ministry for the Future』で行ったこと──現存する技術と制度だけで組み立てられた未来史──の展示空間版であり、実際Robinsonは本展の協働者に名を連ねている。さらに言えば、ジオエンジニアリング研究者のHolly Jean Buck(『After Geoengineering』)の参加は、《The Great Endeavour》の世界設定が単なる技術礼賛ではなく、炭素除去をめぐる統治と正義の議論を踏まえて書かれていることを担保している。
他方で、この編集は現実の側の摩擦を消去することによって成立しているとも言えよう。Climeworksは2025年5月、従業員の約2割を削減した。アイスランドのOrcaプラント(2021年稼働)は設計容量年4,000トンに対して最高でも年約1,700トン、後継のMammoth(設計容量36,000トン)は稼働開始からの捕集量が805トン、自社排出を差し引けば正味121トンに留まる、という報道がなされている。DACのコストは依然として1トンあたり数百ドルの水準にあり、産業としての離陸は資本市場と政策の風向きに全面的に依存している。つまり現実のClimeworksは、《The Great Endeavour》の第一章であるどころか、その物語に到達できるかどうか自体が未決の、脆弱な実験である。
Youngの編集は、この脆弱性を「まだ小さいだけの萌芽」として物語化する。だが「まだ小さい」と「原理的にスケールしないかもしれない」の間には、深淵がある。惑星規模の炭素除去という崇高なイメージに接続された瞬間、個別企業の技術的・経済的な未決性は、物語の推進力の中に溶けて見えなくなる。これは気候科学の文脈で長く議論されてきたモラルハザード──未来の炭素除去への期待が現在の排出削減の切迫性を弱める──の、美学版と言うべき事態だ。しかも本展のリードスポンサーが不動産開発(Panorama St Paul’s)であることまで含めて考えれば、「想像力はインフラである」というテーゼは、想像力がインフラ資本のナラティブ資源になるという事態と、常に紙一重である。
念のため付け加えれば、私はこの危うさを展覧会の失点として書いているのではない。むしろ本展は、この危うさを引き受けることでしか得られない強度に賭けている。批評的距離を保ったまま安全圏から問いを発する2010年代的な身振りを捨て、産業の物語に手を突っ込み、共犯関係のリスクごと未来像を建設する。その賭け金の大きさこそが、本展を同時代の類似企画から隔てている。ただし観客の側には、フィクションと現実の縫い目を自分で解くリテラシーが要求される。その要求の高さは、指摘しておくべきだろう。

5. 人間のいない風景 — — Machine Landscapesからの連続性
本展のもう一つの読み筋は、Youngが編者を務めたAD誌の特集『Machine Landscapes: Architectures of the Post-Anthropocene』(Architectural Design, 2019)からの連続性である。
『Machine Landscapes』が扱ったのは、人間のためにつくられていない建築──データセンター、全自動港湾、サーバーファーム、物流倉庫──だった。地球上で最も重要な空間から人間が退場しつつあること、建築の主要なユーザーがもはや機械であることを、Youngは「ポスト人新世の建築」として概念化した。人間中心設計の終焉を、悲嘆ではなく観察として引き受けるこの視座は冷徹であった。
本展を歩いて強く感じたのは、あの特集で提示された「人間不在のスケール感」が、7年を経て展覧会全体の基調音になっていることだ。人間はほとんど映らない。《World Machine》の岩盤に沈むサーバー群にも、《The Great Endeavour》の無人の洋上プラットフォームにも、《Emissary》の誰も乗っていない宇宙船にも・・・・・・。映るとしても、インフラの巨大さを測るためのスケール・フィギュアとしてである。ドローンショットで捉えられた幾何学的な人工景観が、崇高の感情を喚起する。この「テクノロジカル・サブライム」の美学は一貫している。
ただし、決定的な転調がある。『Machine Landscapes』の機械景観が「すでにそうなってしまった世界」の診断だったのに対し、本展の機械景観は「そうなるべき世界」の処方として提示される。データセンターが岩盤に還り、抽出された金属が大地に返され、機械のインフラが再野生化と共存する — — 診断の道具だった人間不在の風景が、ここでは修復の風景として反転されている。《Planet City》が最も明快だ。100億人が単一の超高密度都市に集住し、残る1億4200万平方キロメートルを野生に返す。「この世界で私たちの最大の建設は、建てないことを選んだ土地である」。人間の退場が、疎外ではなく贈与として語り直される。

6. ブルータリズムの遺構を通り抜けて
最後に、本展がバービカンで開催されたことの意味に触れたい。これは単なる会場の話ではなく、本展の体験設計の核心である。
観客はThe Curveの湾曲したギャラリーで6つの世界のフィクションに浸り、そこから立体駐車場に降りて《Future Present》と《Emissary》を通過し、最後にバービカンの中心にある庭園へと放り出される。
バービカン・センターは、第二次大戦の空襲で焦土となったロンドンの一角に、シティ・オブ・ロンドン自治体が戦後復興期の総合計画として建設したブルータリズムのユートピア建築である。集合住宅と芸術センターと温室と人工湖を一体化したこの巨大コンクリート構造体は、「都市の未来はこう建設できる」という20世紀的な確信の遺構だ。つまり観客は、過去の世代が実際に建設した未来のただ中で、次の世代が建設すべき未来のリハーサルを観ることになる。化石時代のインフラである駐車場で現実のスタートアップと向き合い、コンクリートの回廊を抜け、最後に緑の庭園に出る。この身体的なシークエンスそのものが、「想像された未来はやがてコンクリートに固まり、化石記録に沈む(they settle into policy, they harden into concrete, and they sink into the fossil record)」という展覧会最後のステートメントの、空間による上演になっている。
「私たちは、何かが変わってしまったことを知りながらここに到着する。世界が突然単純になったからではなく、世界が見えるようになったからだ」と始まる展覧会最後のテキストは、こう続ける。「今日私たちが見てきた機械は、もはやサイエンスフィクションではない。それらはすでに存在している──鉱山と工場に、実験場と砂漠に、海岸線に、海の底に」「これはもはやテクノロジーの危機ではない。道具と知識はここにある。未解決なまま残っているのは想像力だ」「私たちが直面する限界は物理的なものではない。習慣の、恐怖の、政治と偏見の限界である」。そして、「もしここに希望があるとすれば、それは確実性の中にではなく、勇気の中にある」。
2010年代のスペキュラティヴデザインは「問いを持ち帰ってもらう」ことで展覧会を閉じたが、本展は「建設への勇気」で閉じる。

7. おわりに
スペキュラティヴデザインは、生成AIがイメージを無限に安くし、ハイパースケーラーが未来を現実に建設してしまう時代に、「ギャラリーで問いを発する」形式のままでは存在意義を失う。Youngが示したのは、その先の形式である──複数メディアで世界を実装し、現実の産業をフィクションに編み込み、都市の遺構を動線に組み込み、想像力を装飾からインフラへ格上げする。
一方で危うさも明確だ。想像力がインフラになるとき、それは誰のインフラなのか。Climeworksの苦境が示すように、物語に接続された現実は、物語の速度では進まない。フィクションの重力が現実の未決性を隠蔽するとき、スペキュラティヴデザインは批評性を失った2010年代よりもさらに悪い場所──産業のナラティブ・ロンダリング──に着地しかねない。本展はその崖のふちを、おそらく自覚的に歩いている。Holly Jean Buckらの参加はその自覚の証左だが、展示体験の中でこの緊張が観客に十分開示されていたかといえば、心もとない。
それでも本展の観どころは、この緊張を引き受けた上でなお「建設」の側に賭ける、という選択だ。Youngは本展を「ファンタジーでも予測でもなく、私たちが望むなら建設できる世界を練習する場所」だと宣言する。リハーサルという言葉を氏は選んだ。思索的デザインと投機的資本が「未来を先取りして見る」という同じ動詞を共有する以上、その両面性から目を逸らさないことが、リハーサルに参加する側の最低条件になる。この展覧会が観客に要求しているのはその覚悟なのだ。
参考情報
- Liam Young: In Other Worlds, Barbican Centre, 2026年5月21日–9月6日 — 公式ページ / プレスリリース
- Anthony Dunne, Hertzian Tales: Electronic Products, Aesthetic Experience, and Critical Design, RCA CRD Research Publications, 1999(MIT Press, 2005)
- Anthony Dunne & Fiona Raby, Design Noir: The Secret Life of Electronic Objects, Birkhäuser, 2001
- Anthony Dunne & Fiona Raby, Speculative Everything: Design, Fiction, and Social Dreaming, MIT Press, 2013(邦訳『スペキュラティヴ・デザイン』BNN、2015)
- Anthony Dunne & Fiona Raby, *Not Here, Not Now: Speculative Thought, Impossibility, and the Design Imagination*, MIT Press, 2025
- Luiza Prado de O. Martins & Pedro J.S. Vieira de Oliveira, “Questioning the ‘critical’ in Speculative & Critical Design,” Medium, 2014
- Liam Young (ed.), Machine Landscapes: Architectures of the Post-Anthropocene, Architectural Design 89(1), Wiley, 2019
- Strelka Institute, The New Normal programme faculty (2017/18)
- Kim Stanley Robinson, The Ministry for the Future, Orbit, 2020
- Holly Jean Buck, After Geoengineering: Climate Tragedy, Repair, and Restoration, Verso, 2019
- Climeworksの現状について: CNN, 2025年5月30日
- 展評: Time Out London (4/5) / STIRworld / Dezeen
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