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たまぁの片付け

小さい頃、どこかの誰かが書いた本に「部屋が常に綺麗な人は、心が綺麗で美しい人だ。」という一文を見つけた。本の著者はこれを皮切りに片付け術のことについて話していたが、肝心の内容については全く覚えていない。ただただ、この一文だけが印象に残っている。

Yoko Sasagawa in exploring the power of place · 2019-05-19 14:21 · 0 claps · 4.2 min read
#031 #余白
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たまぁの片付け

小さい頃、どこかの誰かが書いた本に「部屋が常に綺麗な人は、心が綺麗で美しい人だ。」という一文を見つけた。本の著者はこれを皮切りに片付け術のことについて話していたが、肝心の内容については全く覚えていない。ただただ、この一文だけが印象に残っている。

小さい頃の私は訳もなくこの一文を信用してきた。 きっと部屋が綺麗であれば、心に余裕があるんだ、と。部屋が綺麗じゃない人は余裕のない人なんだ、と。

誰かの家に上がった時も、そのおうちが綺麗に整頓されていたら「心に余裕のある綺麗な人なんだなぁ」と思い込んでいた。綺麗に額に飾られた家族写真とか、ペットがいるのに毛1つ落ちていないソファを見ながら、この家族の余裕のある休日を想像する。(まだ庭も見ていないのに)手入れされた庭に白の飼い犬が走り回ってその周りに虹がかかる様子とか、家族全員が揃ってフリスビーで一緒に遊ぶ様子とか、そういう想像だ。

反して私は、もともと整理整頓が結構苦手だった。だって、普通に暮らしていたら買ってもらうものも増える。逆に捨てられるものが増えるかというと、そこには思い出があるからそうもいかないし、ミュージカルの習い事でほぼ毎日のようにレッスンに通っていた私には、好きではない片付けをする気力と体力を残していなかった。私の母もどちらかというとそのタイプで、家のリビングは物で溢れていた。

そんな、当時小学生だった頃の私に追い打ちをかけるように流行ったのが「トイレの神様」という曲である。 トイレにはそれはそれは綺麗な女神様がいて、毎日キレイにしたらべっぴんさんになれるらしい。後からしっかり歌詞を読むとそんなことはないのだが、私はこの歌詞を「毎日掃除をできる余裕がない人はダメやで。」という風に過剰に捉えた。きっと、細部を気にせずに全体の雰囲気だけで物事を判断してしまう私の性格のせいだろう。毎日掃除なんてできないのに…しかもそれを神様にしっかり見られているなんて…。

私はその日しっかり反省をして、まず神様に謝った。そして部屋を泣きながら片付けて、色んなものを一気に捨てた。当時は真剣に「ごめんなさい私の神様。」と呟きながら片付けた。泣きながらそんなセリフを言いながらじゃんじゃん物を捨て始めたので、親に心配をかけたと思う。とにかく、小さい頃は忙しい中で部屋が汚い状態には割と罪悪感を覚えていた。だから、片付けができた日はスゥッと清々しかった。

・・・

それが大学1年生になり、ずっと忙しさの原因を作っていたミュージカルから離れた。暇が増えて、片付ける時間の余裕はたくさんあって頻繁に部屋を綺麗に片付けられるのが、始めは嬉しかった。のに、次第に片付けが楽しくなくなった。どうしたもんだろう。今まではあんなに清々しく楽しんでいた片付けだったのに。

大学2年生になり、今度はミュージカルに代わってサークルでダンスを始めた。あまりにも時間の余裕がありすぎて暇になってしまったので、やっぱりもう一度舞台に立って体を動かしていたいと思ったからだ。

結論から言うと、大学3年生の今も、これがきっかけでとても忙しい毎日を送っている。毎日のように踊ったり、自分の創る曲のことを考えたりして、確かに2年前ほどの時間的な余裕はなくなった。友人と2人暮らしのリビングを片付ける余裕も必然的にない。

けれど、たまぁに来るオフの日は、それはもう本当に楽しい。

まず、昔みたいにルンルン言いながら洋服をたたみ掃除機をかける。そのあとは洗濯をして食器を洗って一気に開放感に浸る。綺麗になった部屋にふらっと友達が来て、一緒にアイスを食べたりする。この時間がとても幸せだ。

・・・

オフの日に友達がアイスを買って来てくれた日のインスタストーリー

オフの日に友達がアイスを買って来てくれた日のインスタストーリー

昔から、私にとっての部屋の片付けは、オフの日にできる特別な出来事だった。苦手だけど、たまにすると楽しい作業だった。

よくよく考えると、この『たまに』片付けられるという状態を作ることが、私に適しているのかもしれない。昔は『たまに』しか片付けられないことに罪悪感を感じていたけれど、オフの日という余白は、オンの日の忙しさがあって際立つと思う。ずっとオフが続いていたら、それは余白ではなくぽっかり空いた空白になってしまう。当然、片付けも楽しくなくなるはずだ。

こういうオフの日の作り方を整えるのは、予想しているよりも結構難しい。どのくらいの頻度でオフの日を作りたいのか、とか。そもそもオンの日の生活が充実していると感じなければ、オフの日も心から楽しめないんじゃないか、とか。

「部屋が常に綺麗な人」の余白も、「たまに部屋を片付けられる人」の余白の作り方も、どちらが正解でどちらが間違っているということはない。ただ、その人に合う余白の作り方が必ずあるはずだ。これから働いたり、新しいことを始める中で、このバランスの保ち方をこれからも探っていきたい。


메타데이터
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2026-07-29 16:52:36