山手の桜
港の見える丘公園は、まさしく「港の見える丘」にあるひらけた公園だ。横浜市の花であるバラを中心に、四季折々さまざまな花が開く。敷地内に何本か桜の木があると知り、買い物のついでに散歩してみることにした。横浜港を見下ろす位置にあるこの公園は、元町・中華街駅から歩いて5分ほどの場所にある…
山手の桜
港の見える丘公園は、まさしく「港の見える丘」にある公園だ。
横浜市の花であるバラを中心に、四季折々さまざまな花が開く。敷地内に何本か桜の木があると知り、買い物のついでに散歩してみることにした。4月が始まったばかりのこの日、私は今のままの毎日を過ごしていたら「2020年の春」を知らないまま、春が終わってしまうと焦っていたのだった。朝からさっそくカメラの充電を始めた。
横浜港を見下ろす位置にある、港の見える丘公園は、元町・中華街駅から歩いて5分ほどの場所だ。駅を中心とする周辺エリアは独特の雰囲気があり、数多くの国籍・人種の人びとが日常的に行き交う。英語や中国語が耳に入ってくることもめずらしくない。人びとと同様に、まち自体も多彩な表情を持ち、駅のどの出口から出るかによって、異なるまちに足を踏み入れたかのような感覚すら覚える。駅前のドン・キホーテには、機械に名前を入力すると、ものの数分でその名前を彫ってくれるハンコの自動販売機がある。ハンコがたくさん並んだケースに、自分の名字を見つけたことがたった一度しかない私は、特に買う予定もなかったのにまじまじと見てしまった。ハンコ文化に対する需要と供給のバランスを保つ様子は、このまちを象徴しているようにも思えた。
私は、海を望む丘でほんの少しの間だけカメラをまわした。
私と同じように、まわりには足早に通り過ぎながら、ささやかに春を楽しむ人びとがちらほらいた。すがすがしい春の陽気は、私たちを外へといざなう。本来なら、心も体もすがすがしく家を飛び出していきたいところだが、動物も植物も活動を始める春を、恐らく今までにないくらいにおとなしく、家の中で過ごす日々が続いている。ここまでくると、何が「ふだんどおり」なのか、もはやわからなくなってきた。さまざまな場面において「移動」を前提に社会が動いている。誰かと会うのも、何かを買うのも、それらがたとえ画面越しであっても、通信もデータ移動の積み重ねだと思うと、概念を含む「移動」がこの世から無くなることはないのだろう。家のなかで創造の範囲を広げていく。まだまだ、できそうなことはたくさんある。ダイニングテーブルの上には、鮮やかなお祝いの花がまだ元気に咲いている。焦っていたけれど、いつもの場所にもささやかな春があった。
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何日か前のニュースで、桜は花の中心が赤く色づき始めると、散るタイミングが近いというのを聞いた。この日、ときおりひらひらと花びらが舞うなか、中心が赤く、すでに緑の葉をつけているものもあれば、まさに今が見ごろを迎えているものもあった。
満開になったらのんびりお花見へ行こうとしていたが、まだかまだかと待っているうちに、春の訪れにも疎いまま、別の見えぬピークと向き合い続けることになった。
そんなことは何のお構いもなしに、どんな状況であっても季節はめぐり、移り変わっていく。今の自分たちにできることを少しずつ増やしながら、歩みを止めずにいたい。

2020.4.2 港の見える丘公園にて(photo: Ayako Moribe)
메타데이터
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- 2026-07-29 04:51:17