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乏しい想像力

🍵昨日から冷たい麦茶を作りはじめた

Ayako Moribe · 2020-05-04 07:15 · 4 claps · 4.3 min read
#monthly #暮らし #老後 #stay-home-save-lives #コロナ
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乏しい想像力

🍵昨日から冷たい麦茶を作りはじめた

緊急事態宣言が発令されてから、買い物とゴミ捨て以外は家の外へ出ない日々が続いている。買い物から帰ればすぐにシャワーを浴び、外へ履いていく靴は1足に限定し、ちょっとやりすぎなのかもと思うときもあるが、そのくらいやっていいのだと思うことにしている。毎日帰宅時に自分の履いていた靴の写真を撮り続けているが、その写真の数も減ってしまったし、履いている靴もずっと同じだ。これらの記録もやがて時が経てば、「あぁ、このときはね…」と話すようになる日が来るのだと思う。

夫婦ふたり分のご飯を作っては片づける、をくり返しながら、同じ部屋で1日一緒に過ごす。夫の在宅勤務が2月の下旬からずっと続いていて、こうしたスタイルが始まって、2ヶ月があっという間に過ぎていった。

築40年以上が経つマンションの一室をリフォームしたわが家は、少し大きめのワンルームである。壁も仕切りもないため、クローゼットに閉じこもらない限りは、本当に同じ部屋にずっといる。

隣で仕事をする夫

隣で仕事をする夫

これは、私たち夫婦の定年後の生活をシミュレーションしているのではないか、ふと考えた。

外に出られない、人にも会わないという点は少し極端かもしれないが、基本的にはふたりの生活が中心で、家で1日を過ごす。外に出たとしても徒歩圏内。今はまだ2ヶ月ほどだけれど、こうした生活が20年続くとどうなるのかと、何度か想像をめぐらせた。ベランダで「ひなたぼっこ」をする夫に縁側から庭を眺める祖父を重ね合わせてみたが、夫は夫でしかなかった。

コロナのあれこれが落ち着いたら、〈いつもどおりの生活〉になるって思ってはみるものの、そもそも〈いつもどおり〉って何だろうって考え始めた。きっと、生活が〈戻る〉というよりは〈新しくなる〉といった感覚に近いのではないだろうか。なぜなら、すでにいろいろ〈新しい〉からである。オンライン飲み会で、何年も会っていなかった遠方に住んでいる友だちと、あまりにもかんたんに再会できた。「今度地元に帰ってきたら飲みに行こうよ」の〈今度〉が〈すぐに〉実現した。これはこれで、おもしろいスピード感だったが、結局最後には「やっぱり飲みに行きたいね」という結論に至った。60をとっくにこえた私の母もオンライン飲み会をやってみるという。「オンライン飲み会ってどうやるの?」と突然きたメールに必要最低限のことだけ返信したら、「携帯はどうやって置いておくの?」とさらにメールが。確かにケータイの画面に長いこと自分を映しておくことなんて、今まであまりなかったことだと思った。

この前、とある企業のオンライン面接で、フィールドワークの経験について話をする機会があった。私は、「現場に足を運ばないとわからないことがたくさんあって」という言葉を発していたのだが、そうして得られたものを、豊かな想像力に変換していくところまで考えたことがあっただろうか。今こうして家の中にいる方が、あれこれと外の世界を想像することが増えたような気がしている。

家にいてもインターネットで世界のどこへでもアクセスできるし、友だちともビデオチャットできる。それでもどこか退屈してしまうのは、いささか贅沢を言っているような気もするが、それだけ、外に出たり、誰かと直接会ったりしたときの刺激の方が強く、外部での体験によって得られるものが大きいということのように思う。

祖母が健在だったとき、車に乗せて、外に連れ出してあげると喜んだことも思い出した。しかし同時に、自分たちの老後を想像するとき、祖父母に自分を重ね合わせてしまうだけでは、あまりにも乏しいということにも気づいた。生活環境やそもそも育ってきた環境も大きな差があって、食の好みも娯楽の範囲も違う。物理的な場所のみならず、アクセスできる範囲も大きく異なる。それでも、もしかしたら祖母や母と同じように私も庭に咲いた花を楽しむようになるかもしれないし、ゲームのなかで育てた花をかわいがっているかもしれない。祖母がアクセスすることのなかった世界を、祖母と同じ年齢になった自分が楽しんでいる状況を想像するほうがかんたんだ。このままいけば、スマホだって手放すことなく持っているし、新たなデバイスとともに生活していることだってあるだろう。

夫婦ふたりが同じ家で過ごしている時間が長いだけで、老後をシミュレーションしているだなどと考えたのは、安易だったかもしれない。あくまで、自分たちの家の中のごくわずかな時間の範囲で想像をしていた。自分たちの老後の〈世の中〉のことまでは到底想像が及んでいない。かつ今の世の中の様子で、外に出られなくなったことに対して、歳をとって動きがいささか不自由になったことと重ね合わせ、好きなように使える時間が少し増えただけでしかなかった。

思考停止気味な日々に、刺激を与えつつ、読んで考えて書いてをくり返していたいと思いつつ、机に向かったかと思えば、こんどは夕飯の支度の時間がせまってくる。

好きなように使える時間が増えたはずなのに、現実はこんな感じだ。


메타데이터
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