離れて近づく
大学生になり大阪から上京したとき、東京のスゴさに驚かされた。
離れて近づく
大学生になり大阪から上京したとき、東京のスゴさに驚かされた。
新宿、原宿、銀座、浅草、お台場、上野、それぞれが強いインパクトを持ち、東京自体が既に1つの国なのかというくらい何か巨大な力を感じたのを覚えている。
その中でも渋谷の衝撃は特に大きく、何と言ってもあのカオスさが他の地域に比べてダントツだった。1日中消えないスピーカーの音と眩しい巨大スクリーン、「妻になってください」「踊りませんか」と書かれた紙を笑顔で持って通行人に絡みまくるホームレスかパリピ系の人、ギュウギュウで爆発しそうなゴミ箱、マリオカートに乗ってひたすら自撮りする外国人。世界の面白現象をぎゅっと集めたような、そんなカオスさにやられ、それ以来すっかり渋谷のトリコになり時間があればひたすら通いつめるようになった。

2年前渋谷を訪れたとき勢いで書いたスケッチ
大学1年生の頃は本当に暇だった。ほぼ毎日渋谷に通った。そうすることで、渋谷のことならなんでも知っている気になった。大阪から来た友達に我が物顔で渋谷を案内したり、東京に住んでいる人にさえも案内しようとする自分がいた。
大学2年生になり、サークル、勉強、バイトで忙しくなったことや、湘南に住み始めたこともあり、渋谷が少し疎遠になった。月に一度しか足を運ばないという状況になって改めて、渋谷に行きたいなあ、と感じた時があった。この「改めて」というのが重要で、それまで(ほぼ毎日通っていた時期)渋谷に通っていた理由とは別の理由で渋谷に行きたいと思うようになっていた。というのも、湘南に移り住んでから、景観や人々の服装、雰囲気、時間の流れにおける渋谷との違いを体感したことで、渋谷の魅力を再認識したからだろう。おかげで、自分にとって渋谷とは何だったのかがわかり、なぜ自分がそこまで渋谷というものに惹かれていたのかを客観視でき、理解することができた。それはつまり、自分が渋谷から「離れたことで近づいた」ということだ。
考えてみると、自分の中の大阪に対しても同じことが起きている気がする。大阪に住んでいた頃はむしろその前に住んでいた岡山の方に親近感を感じていたが、上京してきてからは大阪のニュースに興味を持つようになっている。正直、東京のニュースより大阪のニュースの方が気になる。今となっては身近出ない別地域のニュースのはずなのに、ここまで気にするということは、それこそ大阪を「近く」に感じている証拠だと思う。
「物理的な距離において離れる」ということについて書き記したが、必ずしも「離れる」というものはそれだけの定義である必要はない。
「価値観から離れる」という行為でも同様である。今学期、僕は渋谷で調査研究を行なっており、以前のように観光客としての価値観ではなく、調査者としての価値観の視点を持って渋谷を訪れている。それにより、直感的に自分が好むものではなく、じっくり観察してこそ得られる発見というものがたくさん出てくる。別の価値観を持つことで見えなかったものが見える、すなわち「(今の価値観から)離れることで近づく」ということである。
他にも、「時間から離れる」ことでも近づける。時間の経過でその場所、あるいは自分自身が変わることによって、その場所における感じ方も変わるかもしれない。そして「昔はこう感じていたな」と振り返り、今とのギャップを実感することが、その場所について知るきっかけになるのではないかと思う。
028「そもそもその土地が何故愛されるのか」という問いに対しての答えは、がむしゃらにそこを愛している人にとっては逆に見えづらい。あえて一旦距離を置いて観察してみる、それも距離や時間など様々な方法で離れてみる。そうすることで見る幅が広がり、より一層その場所を知り、「近づく」ことができるのだろう。
메타데이터
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- 2026-07-29 21:02:00