ネタバレの悪さや悪くなさの美学的検討、「よくわからないもの」を撮り続ける行為の意味 ――『フィルカル』Vol.4,№2(ミュー、2019年)
前号のVol.4,№1に引き続いて400ページを超えるボリュームで構成されている。連載企画や論文以外にも比較的読みやすいイベントレポートやレビュー、書評などが収録されているので、前回も指摘したような「雑誌感」 を味わえる号になっている。
ネタバレの悪さや悪くなさの美学的検討、「よくわからないもの」を撮り続ける行為の意味 ――『フィルカル』Vol.4,№2(ミュー、2019年)
前号のVol.4,№1に引き続いて400ページを超えるボリュームで構成されている。連載企画や論文以外にも比較的読みやすいイベントレポートやレビュー、書評などが収録されているので、前回も指摘したような「雑誌感」 を味わえる号になっている。
まず 「ネタバレの美学」特集が面白い。森功次による序文に始まり、総勢5人の著者が個人的にはネタバレはさほど気にしないタイプだが、ではミステリーのネタバレを全部されてもいいのかと言われると少し反論したくもなる。この不快感はどこから来るのかを考えるためにも、各論者が「ネタバレの悪さ」と「ネタバレの悪くなさ」を真剣に議論しているのは非常に興味深いと思った。また、2018年開催の同テーマでのイベント実況も記録に残っている。
ネタバレは個人的な問題だけではなく社会的な問題でもある。つまり読書メーターに感想を書き、medium上で書評を更新することに余念のない自分は、ネタバレを提供する側でもあるのだ。例えば自分の行為は高田敦史の分類によれば「ネタバラシ」に当たるかもしれないし、「ネタバレ接触」に当たるかもしれない。
その上で高田敦史「謎の現象学 — ミステリの鑑賞経験からネタバレを考える — 」ではどのようなネタバレをなぜ避けるべきなのか? といった議論を行う。ここで提示されるのはミステリーやサスペンスにおけるネタバレ例である。
つまり、ジャンルによってネタバレが大きく鑑賞に影響する場合もあればそうでない場合もあるという前提に立ちながら、「能動的鑑賞を成功させる理由をもつかどうか」(p.29)を一つの補助線として提示している。同時にノエル・キャロルの議論する「サスペンスのパラドックス」(p.41)の議論を提示しながら、事前情報が鑑賞に対して与える影響を議論している。
森功次はアートワールドの「腐敗」や美的義務といったこちらも「理想的な感傷態度とは何か」といった観点で議論をしているため、高田論文と併せて読むと面白い。他方で松永伸二には「ネタバレは悪くて悪くない」というタイトルで論文を書いており、そもそもネタバレの「悪さ」と「悪くなさ」の議論をする中で「規範が互いに対立することもある」(p.120)という視点を提示している。
この特集論文以外では、『祝の島』などのドキュメンタリー映画を撮り続けている纐纈あや監督へのインタビューが面白い。このロングインタビューは4人の聞き手(吉川孝、小手川正二郎長田怜、池田喬、長田怜)による共同でのインタビューによって実施されている。
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纐纈監督による撮影のエッセンスを探る中で人の生活や日常を撮るといった行為はいったいどういう意味があるのか、あるいはカメラの前で起きる出来事とそうではない出来事の違いを考えるとドキュメンタリーと言えどもフィクションになるのではないか、といった議論が行われている。 まず纐纈は題材として惹かれるのが「よくわからないもの」(p.156)だと語っている。『祝の島』は長年の間続く原発への反対運動を取り上げたもので、賛成側を取り上げないのはなぜかという批判もあったようだがここでもきっぱりと態度を表明しているのがいい。
推進派の方の映像はないけれど、島のなかに双方の対立があることを示すようにしました。でもそれは、反対派の主張を正当化するためであったり、批判の対象とするためではありません。もともとは平穏な暮らしをしてきたひとつの大きな家族のような共同体が、外から持ち込まれた原発計画により人間関係を壊された。その痛みは、推進派、反対派もみな同じだ、ということを伝えるためでした。(pp.162–163.)
そして撮影におけるこのスタンスの持ち方は『ある精肉店のはなし』でも共通するように思えた。ここで纐纈が撮ろうとしたのは、食べるという行為の裏側の見えないシステムだからである。
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食肉処理という現場が不可視化されていることで起きる違和感を、映像の中に込めようとしている。同時に、映画を撮影する上でのコミュニケーション、つまり映像として残ることが「良いこと」とは思えない人たちとのコミュニケーションも重視しているのがいい。映像に残すという行為、そして映像を見る行為とはいかなるものなのかといった吉川孝のブルーフィルム論文を思い出しても良いだろう。
分析哲学というよりは思想史的な研究に位置付けられる印象もあるが、鶴見俊輔とプラグマティズムを論じた谷川嘉浩「倫理としての「不自然な自然さ」 — 鶴見俊輔のプラグマティズムと社会運動をつなぐ — 」も『フィルカル』の中では珍しい位置づけであるという点でも読みごたえがある。谷川は他にも朝永ミルチ名義での活動について語った「「ボカロは哲学に入りますか?」と青島ビール」という短い文章も寄せているのが面白かった。自分がかつて読んでいたミルチさんの存在と、谷川嘉浩という哲学者がこうしてつながるのか!という驚きがあった。
他に青田真未の語るいけばな論や、少しひねくれた書評エッセイである八重樫徹「サッカー嫌いの哲学者が、哲学者の書いたサッカー本を読んでみた」も面白い。こうした短い、そしてパーソナルな文章も多く読めるのが今号の魅力だった。
[2026.3.29]
메타데이터
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- 2026-06-09 15:37:30